感情

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寛容な心でお読み下さい。

感情(かんじょう)とは、人間などの動物に備わっている問題解決のプログラムの一つで、行動に影響を与える因子。
ただし眠気や酔いのような身体的なものとは違う。

概要[編集]

基本的に機械コンピューターには標準的には備わっていない。フリーズするのは別に感情とは関係がない。熱暴走などのような、ただのハードウェアのエラーの可能性が高い。でなければストールしたりシステムがダウンしたりするのもソフトウェアの不具合でしかなく、「コンピュータが拗ねている」わけではない。
「AIも感情を持つようになるのではないか」という見方もあるが、それは感情というものを「人間というおせっかいな神様」の仕業である。「感情をエミュレートするにはどうしたらよいか」については三十年以上の歴史があり、「ねね」というチャットボットの試作が人工知能学会の評議員であった戸田正直によって行われていた。を考えてプログラミングする必要があり、システム開発には人間などの動物に備わっている感情がどういうロジックなのかをまず分析する必要があり、人間には少なくとも

  • 緊急事態アージ
  • 維持アージ
  • 認知アージ
  • 社会性アージ

の四種のアージ(欲動)があるのではないかと指摘されている。
単なる好き嫌いの問題とも思われず、「過去の経験を元に現在の状況を判定している」というには人格形成との関係を軽く見すぎていないかという意見もあり、いまだ結論らしきものは出ていない。
「どのアージにどれほどの重みづけをするか」に関しては「ムード」(環境圧・状況。「気分」ともいえる)に影響される。昼飯に「カレー」と「ラーメン」と「肉野菜炒め定食」のどれにするかは、「その日そのときの気分任せ」と見做すこともできるが、その気分がなぜ生じたかは当人にもわからない。たとえば「ご飯もの」「麺類」の洗濯は朝読んだ新聞の影響かもしれないし、「カレー」「中華丼」は昨晩観たグルメ番組の影響やも知れず、「カレーうどん」「タンメン」は通勤電車の中で見た広告の影響かもしれず、「塩分」「野菜」は健康雑誌の影響かもしれない。どのムードに配慮し、どのあたりで手を打つかのトレードオフを説明することは、本人にもできない。

将棋のAIだと[編集]

将棋のAIだと、過去の経験を元に評価の高い手を"好き"とし、評価の低い手を"嫌い"と判定するようにすれば、一応好き嫌いの感情をエミュレートできるのかもしれない。でも相手が"好き"な手ばかり指してくると負ける訳で、「相手が"嫌い"な手を指す方が"好き"と判定するようにしないといけなくなるかもしれない。でも判定を反転させただけだと相手が"好き"な手を指す方が"嫌い"な手を指す方が"好き"な手を指す方が"嫌い"な手を指す方が"好き"な手を指す方が"嫌い"な手を指す方が"好き"な手を指す方が"嫌い"な手を指す方が"好き"な手を指す方が"嫌い"な手を指す方が…」といった無限ループあるいはフリップフロップ状態に陥り、ただのエラー(切れ負け)にしかならないかもしれない。

エンペディアだと[編集]

「感情」を作成中

エンペディアには、感情は2019年9月22日まで無かったようだ。[Jokeこの一文には冗談が含まれています。真に受けるかどうかはあなた次第です。]


  • 「僕は情報技術者なので感情を素直に表出するのが技術的」

情報技術者がその技術を披露する際には感情的になるべき、という意味の格言。

まとめ[編集]

「感情はたぶん生物に備わっているファジィ制御の一種なんじゃないかな?」という認識は、たぶん正しい。
認知科学的な解釈では、「感情は問題解決のためのソフトウェア」であり、同時に「理性の安全弁」であるという解釈がある。つまり、理性的な判断が現実に追いつかなくなると感情が発動される。これは「仕事ができる人は感情的ではなく、できない奴はすぐ安全弁が作動してキレる」という観測的・統計的な事実によって裏付けられる。指導力のない運動部のコーチが生徒をぶん殴って馘首になるということは、「指導力がないから、暴力に頼るしかない」だけの話でしかない。

参考文献[編集]

  • 戸田正直『心をもった機械 ― ソフトウェアとしての「感情」システム』(ダイアモンド社、1987)

脚注[編集]

関連項目[編集]