忍城戦記

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

忍城戦記(おしじょうせんき)とは、小田原征伐における忍城の戦いにおける史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

成立年代は著書の巻末に「天正18年(1590年)」とあることから、これが成立年代とするなら合戦直後の成立ということになる。ただ、天正18年とあるだけなので、果たして合戦があった年を指すのか、著書ができた年を指すのかは不明である。

著者は不明だが、忍城の戦いを細部までよく書いていることから、恐らく籠城していた成田氏の関係者であると思われる。

別称は『忍城攻之事』(おしじょうぜめのこと)、『忍城攻之記』(おしじょうぜめのき)。

内容[編集]

小田原征伐時の忍城の戦いについて記した軍記物で、全1巻。『のぼうの城』の書籍版といえる。

忍城を石田三成大谷吉継長束正家豊臣軍が包囲したところから始まる。攻め手は2万3100余人、城方は領民まで合わせて3740人であった。この軍記では石田三成の戦下手がよく描かれており、6月24日に石田三成は総攻撃をかけて死者300人、重傷者500人を出す敗北をしている。城側は32人の戦死者と40人の負傷者だけであった。しかも、石田と呼応して攻めた浅野長政も400余人の死傷者を出したという。

ただ、この軍記では本来小田原城にいたはずの成田氏長(著では長氏となっている)が忍城にいたことになっており、開城したのも6月25日になっている。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]