張脩 (後漢)

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張 脩(ちょう しゅう、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将

生涯[編集]

益州巴郡巫県の出身[1]

典略』によると178年から184年にかけて五斗米道の指導者だったという。『後漢書』によると184年に黄巾の乱が発生すると張角に呼応して反乱を起こしたという。『典略』では黄巾の乱が鎮圧されると張脩も没落したという。後に劉焉から別部司馬に任命され、張魯と共に漢中郡太守だった蘇固を攻撃して漢中郡を奪ったが、その際に張魯により殺されて配下の軍勢も奪われたという。

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. 小出『三国志武将事典』P164

参考文献[編集]