張承 (魏)
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張 承(ちょう しょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。字は公先(こうせん)[1]。祖父は張歆。父は張延。兄は張範。弟は張昭。子は張戩。
生涯[編集]
司隸河内郡脩武県の出身[1]。兄と違って後漢朝廷に出仕し、最初は議郎となる[1]。後に伊闕都尉に転任[1]。
董卓が政権を握ると兄と共に揚州へ逃れ、兄が袁術の招聘を受けなかった際に代理として挨拶に赴き、袁術の自慢を批判した[1]。曹操が冀州を平定すると病気の兄に代わって出仕し、諌議大夫となる[1]。曹操が魏公になると丞相参軍祭酒と趙郡太守を兼任し、曹操の西方遠征に参軍事として従ったが、長安で病死した[1]。
『三国志演義』には登場しない。