平野母子殺害事件

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平野母子殺害事件(ひらのぼしさつがいじけん)とは、2002年に大阪府大阪市平野区で起きた放火殺人事件。 大阪母子殺害事件大阪平野母子殺害事件などとも呼ばれる。最高裁で状況証拠の評価の仕方が示された事件。

概要[編集]

本事件は2002年4月14日に発生した。大阪府大阪市平野区にあるマンションで、28歳の主婦Aが絞殺(凶器は犬の散歩用の紐)されて、Aの息子である1歳の長男Bも自宅の浴槽に沈められて水死。二人が殺害された後にマンションの部屋が放火される。その後の捜査で被害女性の義父Cが容疑者に浮上。Cは、Aの夫の母親の再婚相手で、2002年11月16日に殺人容疑で逮捕。12月8日には現住建造物等放火の容疑で再逮捕されて、そのまま殺人罪と現住建造物等放火罪で起訴された。

裁判経過[編集]

差し戻しまで[編集]

裁判では、検察側は養父Cが女性Aに恋愛感情をもっていたが受け入れられなかったため殺害したと主張。さらに、養父Cが被害者夫婦の借金を連帯保証していたが、滞納されたまま行方をくらまされたことも動機に挙げた。これに対して被告Cは捜査段階から無実を主張。被告と事件の関与を示す直接証拠がない中での難しい裁判となった。

一審大阪地裁では、検察側、弁護側の主張が真っ向から対立。 検察側は

  • 女性Aに対して、脅迫メールを送ったり、生活に干渉していたりしていた。
  • 犯行日にCが自身の妻を迎えに行くという約束をしていたにも関わらず、迎えにいっていない。
  • 犯行時間帯に犯行現場のマンションで被告の車が、多数の住民から目撃されている。
  • 被害者と親しいとされる人物の中で唯一被告にだけはアリバイがない。
  • 犯行時間帯に、被告の携帯電話の電源が切られており、犯行を行っていたと推認される。

と主張。さらに、マンション階段にあった灰皿にある吸い殻について、被告の血液のDNA型と唾液成分が一致することをあげて被告が犯人だと主張。直接証拠がなくても、これら間接証拠により、有罪は十分に立証できると主張して死刑を求刑した。これに対して弁護側は

  • 灰皿に血液型が残っていたのは、被告が被害者に渡した携帯灰皿を渡した。その灰皿が、被害者によって捨てられてDNA型が一致した可能性。
  • 被告は被害者親子の自宅は知らなかった。被害者の行方を捜していて犯行時間帯に犯行現場の近くに駐車したことは事実であるが、マンションには行っていない。

と主張した。

2005年8月3日、大阪地裁は弁護側の主張を退けて有罪判決を言い渡した。同時に犯行は偶発的なもので計画性がなく、当初は被害者を殺すつもりがなかったとして検察側の死刑求刑も退けて無期懲役とした。この判決に対して、弁護側が無罪判決を求め、検察側が死刑を求めることになり双方が控訴した。

2006年12月15日、大阪高裁は、弁護側の控訴を棄却して有罪判決。一方、情状酌量の余地はないとして量刑不当として、一審判決の無期懲役を破棄して死刑判決を言い渡した。死刑判決の理由には、被告が自身が無実であるという虚偽を述べて反省の態度が見られないことや、2人の被害者の命を奪った結果から更生の余地はなく、死刑判決はやむをえないとした。この判決に弁護側は上告した。

2010年4月27日、最高裁は死刑判決を受けた被告に対しては異例の審理差し戻しを行った。この決定により一審大阪地裁の判決は破棄されて、差戻された。判決では、事件当日に採取されたはずの煙草の吸殻にも関わらず、フィルターが茶色く変色していることから、「かなり前に捨てられた可能性がある」とした。そもそも、72本の煙草が採取されているのに一つしか鑑定していないため、他の煙草の吸殻も鑑定するべきで、被害女性のDNA型に一致するものが検出された場合、弁護側が主張した通り、携帯灰皿の中身を踊り場の灰皿に捨てた可能性が高い、とした。そのうえで、補足意見では「被害者女性とDNA型が一致すれば無罪を言い渡すべきである」とされた。

さらに他の間接証拠についても指摘。犯行時間帯に被告の携帯電話の電源が切られていること、犯行を行ったとされる動機は、被告が犯人であるという推認が成り立たないと指摘。これらから犯人と推認するための証、合理的な説明はないとした。

本事件では間接証拠の評価についても最高裁として言及した。直接証拠がない中で間接証拠から犯人と推認するには、「被告が犯人でないと説明のつかない事実が間接証拠に含まれている必要がある」と言及。検察側に対して、立証責任を明確に示した。

死刑判決を受けた事件を最高裁が差し戻すケースは極めて異例で戦後7件目。過去に最高裁が死刑判決を差し戻した事件は、いずれも無罪判決が確定している。最も最近の最高裁が死刑判決を差し戻した事例は、21年前に山中事件を最高裁が差し戻して以来。

2011年5月17日に最高裁が鑑定するべきとした吸い殻72本のうち71本を紛失していたことが判明した。平野署の捜査本部にある整理棚に段ボールに入れられて保管されていたものの、2002年12月下旬に紛失が判明。大阪府警は24時間監視下にある捜査本部から何者かがが持ち出すことは不可能とされ、間違って廃棄したとしていた。ところが、府警は2004年1月頃まで検察側に対し紛失を伝えておらず、弁護側に対しては2010年7月まで伝えられていなかった。

差し戻し後[編集]

2011年10月20日に大阪地裁で差し戻し審の初公判が開かた。検察側は、改めて死刑を求刑。弁護側は無罪を主張したうえで、被告は黙秘権を行使した[1]。検察は、被告人質問が取りやめられることに異議を申し立てたが棄却された。検察は、被告が現場のマンションに行ったことがあることを示す新証拠として被害者に飼われていた犬の獣毛についての村上賢教授(麻布大学獣医学部)による鑑定結果を提出。これに対して、弁護側は犬の獣毛と一致しないと相反する鑑定結果を提出して反論した[2]。さらに、現場に残されていた足跡が被告と一致しない、被害者の爪にあった繊維が被告の着ていた服の繊維と一致していないと主張した。検察は喫煙実験を行って最高裁が指摘した吸い殻が短時間で変色する疑問を立証しようとしたが、弁護側は証明になっていないとして反論した。

煙草の紛失についても審理され、元警察官は「証拠物とは別の資料という扱いで、重要という認識はなかった」とし、同じような大きさの段ボールをごみ箱にしていたために間違えて廃棄したと釈明した。

2011年12月5日、差し戻し審大阪地裁は結審した。2012年3月15日に大阪地裁(水島和男裁判長)は、無罪を言い渡した。死刑判決を最高裁が差し戻した事例で無罪判決が言い渡されるのは山中事件以来21年ぶり戦後7件目。判決では警察が証拠品の煙草の紛失を一審判決前に把握しながら公開していなかったことを批判。異例の差し戻し前の公判の判決が変わっていた可能性がある旨を付言をした。また、検察側の被害者の衣服に付着していた獣毛が被告の犬の獣毛と一致したという主張に対して被告の弟に犬が預けられていたことなどから被告が被害者宅に入った可能性を示すものにはなりえないとした。検察側の喫煙実験に対しても、科学的ではないと退けた[3]

第2次控訴審[編集]

検察側が控訴するも、第2次控訴審の審理は中断。2016年6月23日、大阪高裁(福崎伸一郎裁判長)で3年ぶりに再開され、中断されていた間に凶器などの微物を鑑定した法医学者が証人出廷して、Cと一致するDNA型が検出されずに凶器からは別人のDNA型がほぼ完全な形で検出されたと証言する[4]。凶器となった犬のリードからは、別の男性のDNA型が検出されたと言い、事件後に捜査の過程で付着した可能性もあるとした。さらに、被害者の衣服からはCと別人のDNA型が検出されている。

2016年8月2日、検察側の鑑定でもCと一致するDNA型は検出されなかったことが判明[5]。これによって、2016年9月13日の結審後に無罪判決が言い渡される公算が高くなった。

2017年3月2日、大阪高裁(福崎伸一郎裁判長)は検察側の控訴を棄却し、差し戻し後の一審の無罪判決を支持した。被告人は出廷しなかった。検察側は上告を断念し、無罪判決が確定した。

過去に最高裁が死刑判決を差し戻した事例[編集]

過去に最高裁が事実誤認があるとして死刑判決を差し戻した事例は6件。

  • 幸浦事件:一審、二審で被告三人に死刑判決も最高裁が二審に差し戻し。差し戻し二審、最高裁で無罪判決を受けて確定。
  • 二俣事件:一審、二審で死刑判決も最高裁が一審に差し戻し。差し戻し一審、二審共に無罪判決で確定。
  • 松川事件:一審で死刑判決5人(有罪判決20人)、二審で死刑判決4人(有罪判決17人)も、最高裁が二審判決を破棄して差し戻し。差し戻し審となった二審で無地判決を言い渡され、検察側が最高裁に上告するも無罪判決が確定した。
  • 八海事件:主犯とされた被告が一審、二審で死刑判決を受けるも最高裁が差し戻し。差し戻し二審で無罪判決が出たが、再び最高裁二審に差し戻し、二審で再び死刑判決。最終的に最高裁が無罪判決を言い渡して確定。
  • 仁保事件:一審、二審で死刑判決を受けた男性を最高裁が二審に差し戻し。差し戻し二審で無罪判決を受けて確定。
  • 山中事件:従犯とされた男性の主張により、主犯とされた男性が一審、二審で死刑判決を受ける。しかし、最高裁が二審に差し戻して殺人について無罪判決で確定。

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]