平沢栄一

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平沢 栄一(ひらさわ えいいち、1925年 - )は、労働運動家。全国金属労働組合(総評全国金属)中央本部書記長。産別金属大阪支部副委員長や日本共産党大阪府副委員長を務めた平沢栄一(1908-1959)は別人。

経歴[編集]

新潟県小千谷生まれ[1]。1943年商業学校を卒業し東洋通信機(現・宮崎エプソン)に入社。兵役を経て、1946年日本労働組合総同盟結成準備会書記[2]。1947年日本社会党に入党[3]。1949年関東金属労働組合常任書記。1953年全国金属労働組合(総評全国金属)中央本部常任書記[2]。1961年の目黒製作所争議、般若鉄工所争議[1]、「法人格否認の法理」を適用させ「使用者概念の拡大」を実現させた1967年の川岸工業仙台工作争議などを指導し[2]、「争議屋」の異名をとった[1]。1975年総評全国金属中央本部書記長。その間、青婦対策部長、争議対策部長、業種別対策部長、組織部長を歴任。中央最低賃金審議会委員、中央労働委員会委員なども務めた[1]。1982年の大会の役員選挙で左派の中里忠仁をおさえて当選した橋村良夫委員長とコンビを組んで労働戦線統一方針を推進。1986年に平沢の後を受けて書記長に就任した嶋田一夫も労働戦線統一方針を推進した[4]。1986年総評全国金属中央本部を退職[2]

著書に『争議屋』(論創社、1982年)。2009年に増補版『争議屋――戦後労働運動の原点』(論創社)が刊行された。

出典[編集]

  1. a b c d 争議屋 論創社
  2. a b c d わたしの労働運動ものがたり 争議屋 平沢栄一 Labor Now TV
  3. 平沢栄一『争議屋』論創社、1982年、32頁
  4. 高木郁朗『ものがたり現代労働運動史1 1989~1993――世界と日本の激動の中で』明石書店、2018年、25-26頁

関連文献[編集]

  • 日本労働研究機構編『戦後労働組合運動の歴史――分裂と統一 第2集』(日本労働研究機構、2003年)
  • 全金本山労働組合「本山闘争の記録刊行委員会」編『本山闘争12000日――一人の首切りも許さない』(七つ森書館、2006年)
  • 平沢栄一、梅崎修、島西智輝、南雲智映『平沢榮一オーラル・ヒストリー――元・総評全国金属中央本部書記長』(科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書 平成24年度、2012年)