平塚大空襲
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平塚大空襲(ひらつかだいくうしゅう)は、1945年7月17日未明にアメリカ軍が平塚市にて行った爆撃。本記事では7月17日の爆撃について主に述べる。
爆撃[編集]
かつての平塚市は軍需工場が多く、タイヤ工場や火薬工場などが主に標的となった。一夜の爆撃では日本で2番目に焼夷弾の投下本数が多いと言われ、その数43万本とも言われている。同日未明には静岡県にある沼津市への空襲を行った(沼津空襲)。焼夷弾にはテルミット・マグネシウムを使用している。死者数は約340人程である。その後爆撃を免れた土地は西に比べ道が斜めになっていたりと証拠も残る。
被害[編集]
八幡山にて洋館(旧横浜ゴム平塚製造所事務所)があったがアメリカ軍の標的とはならず。また平塚八幡宮も社殿と境内が燃えることはなく済んだ。また現在の平塚市立花水小学校には軍の臨時的な本営があり、その場所は残念ながら燃えてしまった(翌年平塚市立花水小学校として建てられた)。花水小学校正門横には1946年3月に建てられたとされる、定礎を示す石碑がある。