平城神宮
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平城神宮(へいじょうじんぐう)は奈良県奈良市の平城宮跡に創建される構想があった神社である。
概要[編集]
奈良は710年に都が置かれ、元明天皇期から桓武天皇期までの7代約80年に渡って日本の首都として栄えた。しかし、784年に都が長岡京に移されると奈良は東大寺や興福寺の門前町に変貌し、かつて都であったことは忘れられていった。以降1000年の間にかつて朝廷の政庁が置かれた位置もわからなくなっていたが1897年(明治30年)に関野貞によって平城宮跡が発見された。しかし発見後も史跡として整備されることなく水田として利用されていたためその現状を嘆いた奈良の材木商の棚田嘉十郎が保存運動を展開する。その一環として政府に請願していたのが平城宮跡に平城神宮を創建する計画である。
創建運動と終焉[編集]
棚田は私財を投じて保存運動を行い、平安神宮が内国勧業博覧会を契機に創建されたことをヒントにまずは1912年に平城遷都1200年祭を開催することを県に請願することになる。奈良県の協力を得て1200年祭は成功に終わり、翌年棚田は「奈良大極殿址保存会」を立ち上げいよいよ用地買収に乗り出した。しかし資金協力者が棚田との約束を反故にしたことで買収計画は暗礁に乗り上げ棚田は責任を取って自殺。そのまま創建計画も自然消滅してしまうこととなった。
祭神[編集]
当時の国家神道の下で「神宮」を名乗るには天皇を祭神にする必要があったため奈良期のいずれかの天皇を祭神にすることを想定していたと思われるが詳細は不明。