山鹿素行誕生の地(やまがそこうたんじょうのち)とは、江戸時代前期の兵学者として知られる山鹿素行の誕生地である。福島県会津若松市山鹿町1-25に石碑が存在する。
山鹿素行は江戸時代前期の兵学者として知られ、当時の会津若松藩士・町野左近の邸内で生まれたという。現在伝わる石碑は、明治時代の海軍軍人である東郷平八郎の手によるものである。
山鹿は山鹿流兵学を創始したことで有名で、赤穂藩に招かれて仕えたが、後年に江戸幕府の逆鱗に触れて赤穂藩に幽閉の身となった。後に知られる忠臣蔵で、大石良雄が吉良邸に討ち入った際には、山鹿流兵学を用いたと伝わっている。