山内 三郎右衛門(やまのうち さぶろうえもん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。
父は土佐国香美郡槙山郷梶ヶ谷城主の山内祐経。長宗我部元親・長宗我部盛親の2代にわたって奉行として仕え、国政に参与した。関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600年)12月5日、長宗我部家が改易される際の浦戸城明け渡しの書状に家臣の1人として連署しているのが確認されている[1]。