山の城合戦之記
ナビゲーションに移動
検索に移動
山の城合戦之記(やまのしようかっせんのき)とは、戦国時代の豊薩合戦に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は帆足正周。成立年代は江戸時代後期の天明2年(1782年)である。
帆足氏は山の城城主で大友氏の家臣。正周は恐らく帆足鑑直の子孫と推定される。江戸時代後期の後代史料だが、末尾に「依旧記書之」とあるため、恐らく何らかの旧記を参考に書いたものと思われる。
内容[編集]
天正14年(1586年)に島津氏と大友氏との間で豊薩合戦が行われた際、玖珠郡日出生村の山の城の戦いが行われたが、その際の攻防戦における「女性の合戦」を描いた珍しい記録である。
帆足鑑直の妻で鬼御前と称された女性の活躍、さらに城に残っていた兵卒の妻女や娘らが、男たちの足手まといにならないようにおめおめと自害しないように、討ち死にする覚悟をしていたことが描かれている。島津軍は6000騎余りの大軍で攻めたが、わずか500騎ほどの女性を主力にした城兵たちに敗れ、豊臣氏の九州平定軍が来たことにより撤退した。
最後は、山の城が天正15年(1587年)3月に失火により全焼したことで終わっている。