小幡顕高

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小幡顕高(おばたあきたか)は上野国の国衆国峯城主。

生涯[編集]

小幡家は山内上杉家の傘下国衆であり、顕高も、山内上杉に従った。また、『顕』の字は上杉顕定からの偏諱と思われる。

山内上杉家の当主が上杉憲寛の時には、嫡流の、五郎丸派について、上杉憲寛を上野から追放し、五郎丸が家督を継いだ。後に五郎丸は上杉憲政と呼ばれる事となる。

1546年河越夜戦では上杉憲政の撤退を助けた。

1548年息子の小幡憲重が山内上杉を裏切って、武田方に付き、国峯城を奪った。

そして、1557年に亡くなった