宇野千代

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宇野千代(うの ちよ、1897年11月28日-1996年6月10日)は、作家・服飾デザイナー。

人物[編集]

山口県(現在の岩国市)出身。岩国高等女学校卒。14歳で従兄と結婚するが十日ほどで実家に帰る。小学校の代用教員のあと朝鮮・京城へ行くがとんぼ帰りし、元夫の弟・藤村忠と結婚する。京都に住んだあと上京し、本郷の燕楽軒で18日給仕をし、芥川龍之介久米正雄今東光らと知り合う。その後北海道へ行き、1921年『時事新報』の懸賞小説に「脂粉の顔」が一等で当選する。

さらに『中央公論』に小説を送り、先の『時事新報』で二等だった尾崎士郎を知ってすぐに同棲する。30年、画家の東郷青児と同棲し、東郷の話をもとに『色ざんげ』(1933)を書いた(ウィキペディアに「東郷との関係を書いた」とあるのは間違い)。34年、東郷とも別れて,36年、ファッション雑誌『スタイル』を創刊。39年、北原武夫と結婚し、64年に離婚した。

1957年、十年をかけたとされる『おはん』で野間文芸賞受賞、71年『幸福』で女流文学賞、72年に日本藝術院賞受賞、同年日本藝術院会員となる。82年、菊池寛賞受賞。90年、文化功労者

宇野千代は自伝『生きていく私』で有名だが、これは72年の『或る一人の女の話』を平易に書き直したものである。ほかに『刺す』『人形師天狗屋久吉』などがある。晩年は「徹子の部屋」に出て、黒柳徹子が「尾崎士郎さん・・・」と言うと「寝たッ」と言うのが有名だった。98歳で没。