孫 壱(そん いつ、? - 260年)は、三国時代の呉の皇族。祖父は孫静。父は孫奐。
父と同じく呉で沙羨侯に封じられる[1]。しかし皇族ながら魏に投降し、車騎将軍・仮節・交州牧・呉侯に封じられ、三公と同じ礼遇を受けた[1]。260年に妻の刑氏と共に部下に殺された[1]。