妙徳院(みょうとくいん、生没年不詳)は、上杉景虎の側室。父は後北条氏の家臣で景虎の家老を務めた遠山康光[1]。
天正7年(1579年)に御館の乱で景虎が殺害されると、越後国関山の三所権現別当宝蔵院に入って尼となった。妙徳院と号し、95歳という当時としては驚異的な長寿を保ったという[1]。
景虎との間に娘が一人いるが、その行方は不明である[1]。