天体位置表
天体位置表(てんたいいちひょう)とは、海上保安庁海洋情報部が編纂していた天体暦。
概要[編集]
航海のための天測暦としての役割を担い、惑星や恒星の精密な位置、日食・月食や星食の詳しい予報などが掲載されていた。 A4版サイズで、隔年で濃い緑色と薄い緑色の表紙になっていたが、一度だけ製本ミスで濃い緑色の表紙が連続した時がある。
太平洋戦争のために外国から天体暦が入らなくなったため、海軍水路部時代の1942年に水路部第4課の独自計算によって発刊され、2010年版まで刊行された。
天体暦の計算のため、女学校を卒業したばかりの多くの女性が動員され、手回しの計算機を使って計算していた。
戦争の深刻化や終戦直後の貧困によって紙や印刷の質が悪くなり、特に1946年版は完成直後に戦火で焼けてしまったため、残っていない。
海外では"Japanese Ephemeris"として米暦(Astronomical Almanac)、仏暦(Connaisance de Temp)と並んで、世界の3大天体暦のひとつとされた。
鈴木敬信らが天体位置表の編纂を行い、1960年から1979年までは、惑星の位置としてグリニッジ天文台の計算値を計算していたが、問題があることがわかったため、1980年からは水路部独自の計算値を掲載するようになり、さらに1985年版からは福島登志夫によって、IAU(1976)天文定数系と一般相対論的運動方程式に基づく数値積分計算による暦に改められたが、運動方程式の初期値をアメリカのジェット推進研究所(JPL)の暦であるDE200に合うように決定したまま改定しなかったため、年数が経つうちに精度が悪化していった。
米暦は、多くのアメリカの惑星探査機や月レーザー測距、レーダー観測などの最新の観測データを、また仏暦もヨーロッパ宇宙機関(ESA)の惑星探査機等の観測データを取得して天体暦の改良に役立てたのに対し、日本はそのような独自の観測データを取得して天体位置を表すことがなく、1969年からのアポロ計画以降に月レーザー測距によって月の軌道の精度が飛躍的に向上した後もなお、旧態依然として星食観測によって月の軌道を改良すると言い続け、1981年にはアメリカ海軍天文台が放棄した星食国際中央局を引き受けるなどしたため、次第に浦島太郎状態となっていった。このような時代遅れの星食を重視する政策を後押ししたのは、久保良雄や相馬充などである。
水路業務法により、公籍船への天体位置表の装備が義務付けられていたが、双曲線電波航法やGPS航法の普及によって天測の必要はなくなり、また天文シミュレーションソフトの登場などによって天文用の需要も減少し、売り上げ部数は年々減少していった。
掩蔽観測への関心も、星食・接食から小惑星の掩蔽へ観測対象が移っていったため、星食の観測者・観測数の減少が続き、ついに星食国際中央局、第三管区海上保安本部白浜水路観測所、第六管区美星水路観測所の閉鎖とともに、天体位置表も廃刊となった。
その歴史的役割を終えたのである。
なお、海上保安庁海洋情報部の図書館と国立天文台の旧書庫には、毎年の天体位置表が所蔵されていた。
参考文献[編集]
- 「天体位置表」各年
- 「天体の位置計算」、長沢工 (地人書館、1981)