大戸関所跡
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大戸関所跡(おおとせきしょあと)とは、群馬県吾妻郡東吾妻町大戸に存在するかつての関所跡である。
概要[編集]
この関所はその昔、信州街道の草津往還で浅間と草津、江戸を結ぶ重要路であったことから設けられた。関所周辺の道幅は狭かったとされる。関所は江戸時代前期の寛永8年(1631年)に設置され、明治維新後の明治4年(1871年)に廃止されるまで、常に4人の役人が置かれた。中山道碓氷関所の脇関であったものの、位置的なことから非常に重視された。なお、この関所で最も有名な事件が、江戸時代後期の天保7年(1836年)に国定忠治が行なった「関所破り」である。関所破りから14年後に忠治は捕らえられてこの罪により処刑されているが、そもそも忠治には関所破りをするつもりはなく、博徒として既に名の知られた存在だったため、関所にいた役人が残らず逃げてしまってそれにより関所破りとされてしまった、とする説も存在する。
なお、現在はかつて関所があった場所に関所記念碑が建立されている。
関連項目[編集]
- 中之条駅から大戸行きのバスに乗り、大戸で下車してすぐ。