大崎義兼
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大崎 義兼(おおさき よしかね、? - 享禄2年(1529年[1])?)は、戦国時代の陸奥の大名。陸奥大崎氏の第9代当主[1]。室町幕府の奥州探題。幼名は彦三郎[1]。官位は従五位上左京大夫[1]。子に高兼、義直。
生涯[編集]
父は大崎政兼[1]。室町幕府の第9代将軍・足利義尚から「義」の偏諱と太刀を賜わる[1]。長享2年(1488年)に領内において反乱が起こると、独力で鎮圧できず伊達尚宗を頼り、その力を得て鎮圧した[1]。享禄2年頃に死去し、子の高兼が跡を継いだ[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『戦国人名事典コンパクト版』 阿部猛、西村圭子、新人物往来社、1990年9月 ISBN 4-404-01752-9