大久保青志

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大久保 青志(おおくぼ せいし、1951年[1] - )は、政治家、市民運動家。元東京都議会議員。フジロックNGO村村長、アトミック・カフェ代表[2]

経歴[編集]

國學院高等学校國學院大學出身。在学中は学生運動に参加[3]。1972年渋谷陽一岩谷宏松村雄策橘川幸夫斎藤陽一大類信らと同人でロック専門誌『ロッキング・オン』を創刊[3][4][5]。1975年から約3年間内田裕也のマネージャーを務め、1978年ロッキング・オンに復帰[5]。1984年反核・反戦のロックフェスティバル「アトミック・カフェ・フェスティバル」を立ち上げ、日比谷公会堂や都内のライブハウスでイベント活動を展開[5][6]。1987年ロッキング・オンを退社、日本社会党土井たか子委員長の秘書となり、政治の世界に入る[5]。1989年7月の東京都議会議員選挙に無所属で目黒選挙区から出馬、2万8669票を獲得しトップ当選[6][1]。1993年6月の選挙(社会党から立候補)、1997年7月の選挙では落選[1]

都議を務めた後は保坂展人衆議院議員の政策秘書、フジロックフェスティバルのNGOヴィレッジ村長を務める[5][7]。2005年6月の東京都議会議員選挙に社民党の公認候補として世田谷選挙区から出馬したが、1万165票で最下位落選となった[6][8]

著書[編集]

  • 『香港軍票と戦後補償』(高木健一、小林英夫、石田勘太郎、仙谷由人、和仁廉夫共編著、明石書店、1993年)

出典[編集]

外部リンク[編集]