周 行逢(しゅう こうほう、? - 954年)は、五代十国の湖南の初代君主(在位:? - 962年[1])。
武陵郡の貧農の出身で、最初は十国の一つである楚の恭孝王の家臣として仕える[1]。南唐との戦いで功績を立て、武清軍節度使となる[1]。しかし楚は951年に南唐に滅ぼされ、その後に周行逢は湖南に勢力を張って自立し、北宋期には中書令を称した[1]。962年に死去し、跡を息子の周保権が継いだ[2]。
勇猛果敢だったが家臣には厳しかったと伝わる[1]。