周 保権(しゅう ほけん、951年/952年 - 985年)は、五代十国の湖南の第2代君主(在位:962年 - ?[1])。
初代君主・周行逢の子[1]。962年の父の死で跡を継ぐが、それを不服としての反乱が起こった[1]。後に北宋の太祖に仕えて武平軍節度使、并州の長官となった。985年に死去[1]。病死である。