呉 応(ご おう、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏から西晋にかけての政治家。字は温舒(おんじょ)[1]。父は呉質。子に呉康。
230年に父が死去した際に醜侯という不名誉な諡号を贈られたが、呉応は事実に反すると訴えたため正元年間(254年から256年)に威侯と改められた[2]。魏の滅亡後は西晋に仕え、尚書に昇進した[1]。