吉見百穴
吉見百穴(よしみひゃくあな)とは、埼玉県比企郡吉見町にある古墳時代の遺跡である。
「よしみひゃっけつ」というのは間違った呼び方である。
概要[編集]
昔から岩山に数個の穴が確認されており、明治時代に大規模な発掘調査が行われた。百穴とは言うものの200以上の横穴が発見され有名な観光地となっている。
最初は松山城の武器庫と考えられており、発掘調査を行った坪井正五郎氏は「コロボックル人の住居跡」と主張したが、現在では横穴墓(よこあなぼ)と考えられている。
太平洋戦争中に作られた中島飛行機の地下工場跡で洞窟探検を楽しむこともできる。この地下工場は大規模なものだが、危険なので奥部には入れないようになっている。
洞窟内は、夏場は信じられない程の低温。冬場はストーブでもあるのかと思うほど暖かい。一年中、温度が一定(18~19℃)なのである。
その他[編集]
中島飛行機の地下工場が掘られたときに横穴墓がいくつか破壊されたばかりか、昔は遺跡に対する考え方が適当で、遺跡の保護よりも観光が優先されたためか、階段が取り付けられたりして本来の形をしていない。
吉見丘陵には黒岩横穴墓群という百穴に良く似た別の遺跡が存在する。
百穴射撃場の裏山(岩粉山)にも、横穴墓のような穴が一つだけあるが、それはテレビ局が吉見百穴に関するドキュメンタリー番組を製作した際に、横穴墓を掘るのに、どれくらいの時間と労力が必要かを調査するために掘ったもので、古墳時代の遺跡ではない。
東大真理教信者ならばコロボックル説を支持するべきである。なぜなら坪井正五郎氏は東大出身者だからである。
注意点[編集]
女性が吉見百穴に行くとき、ミニスカートは不適切である。吉見百穴では横穴墓のある急な岩山にある階段を登ることになる。休日ともなれば多数の観光客がやって来る。登っていれば、下から誰かが登ってくる可能性が高いからである。