山口新一郎
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山口 新一郎(やまぐち しんいちろう、1927年(昭和2年)[† 1]11月25日[1] - 1984年(昭和59年)6月)は、日本の厚生官僚。元厚生省年金局長。
1953年、厚生省に入省。1954年の厚生年金保険法の全面改正に携わる。以降、年金制度改革の節目となる法改正に携わり[1]、「年金のヤマシン」[2]「年金の神様」[1]「年金のスペシャリスト」[3]と呼ばれた。
1979年にがんの手術をしたが[2]、1981年6月に年金局長に就任し、1983年12月以降は入退院を繰り返しながら基礎年金制度の導入などを柱とする年金制度改革に尽力した[1]。1984年に国民年金法改正案を国会に提出したが[2]、成立を見ぬまま、同年6月に腎がんのため56歳で死去した。厚生省は戦後2回目の省葬を行った[1]。吉原健二が年金局長、山口剛彦が年金課長として後を継ぎ[3]、1985年4月に改正法案が成立した。山口の妻は衆院本会議場の傍聴席から、夫の遺影を抱いて改正法案成立の様子を見守った[2]。
1985年、財団法人年金制度研究開発基金(現・公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構)は山口の遺族からの寄付を原資として、年金制度に関する優れた調査研究を表彰する「山口新一郎賞」を創設した[1]。
著書[編集]
- 『わが国公的年金概論』 日本国民年金協会(日本年金叢書)、1972年
- 『図説日本の福祉――社会保障の現状』 編、財経詳報社、1976年
関連文献[編集]
- 『山口新一郎さん』 山口新一郎追悼集刊行会編、山口新一郎追悼集刊行会、1986年
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 誕生日、没年月から推定。
出典[編集]
外部リンク[編集]
- 公的年金制度の行方 浅野史郎メールマガジン(2003年10月21日)
- 公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構