司馬 岐(しば き、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の政治家[1]。父は司馬芝。
司隷河内郡温県の出身[1]。河南丞・廷尉正・陳留国相などを歴任する[1]。梁郡に長年拘留されていた囚人が多数いたが、司馬岐は拷問を止めて問い質し、1日で全て処理したので廷尉に抜擢されたという[1]。曹爽政権下では曹爽一派の権力の横暴を阻止したが、そのために自らに咎めが来ることを察して病気を理由に辞職し、それから1年も経たないうちに35歳の若さで死去した[1]。
『三国志演義』には登場しない。