南洲洞窟
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南洲洞窟(なんしゅうどうくつ)とは、現在の鹿児島県鹿児島市城山町に存在する洞窟である。西郷洞窟(さいごうどうくつ)とも言われる。
概要[編集]
鹿児島市の城山東腹の東側の登山道の途中、岩崎谷の一角に存在する洞窟である。
明治10年(1877年)の西南戦争で新政府軍に敗れた西郷隆盛と薩摩軍は、9月1日に鹿児島まで敗走して城山にたどり着き、岩崎谷に本陣を構え、洞窟を掘って立て籠もった。洞窟は奥行きが5メートル、間口3メートル余りの小さなもので、西郷は自決するまでの5日間をここで過ごしたという。9月24日早朝に新政府軍の攻撃が始まると、西郷は洞窟を出て桐野利秋、村田新八、別府晋介、辺見十郎太、池上四郎など主だった者40名余りと共に岩崎谷を下って最後の攻撃を開始する。しかし程なくして、西郷は流れ弾に当たって腰と股を撃ち抜かれて動けなくなり、最後まで従っていた別府に「晋どん、もうここでよか」と言って介錯を頼み、自刃したと伝えられている。
南洲終焉の地は洞窟から500メートルほど下ったところに存在し、その最期を示す史跡碑も建立されている。
アクセス[編集]
- 鹿児島中央駅から車で10分。