劉恢

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劉 恢(りゅう かい、? - 紀元前181年?)は、前漢皇族で梁王・趙王の地位にあった。

生涯[編集]

前漢の初代皇帝高祖の5男。兄に第2代皇帝・恵帝や第5代皇帝・文帝がいる。

最初は梁王に封じられていたが、紀元前181年にすぐ下の弟で趙王であった劉友呂太后によって餓死させられると、後任の趙王に封じられ、新しい梁王に呂産が封じられ、劉恢はその呂産の娘を妻にするように呂太后から半ば強制された。呂産の娘は呂氏一族の権勢を傘に着て横暴な振る舞いがあり、劉恢の行動を監視していたので夫婦仲は最初から冷え切っており、劉恢は「あれは妻ではなく獄吏だ」と言って相手にせず、別の婦人を寵愛したという。しかし、呂産の娘はそれに嫉妬して夫が寵愛する婦人を毒殺してしまい、劉恢は悲嘆に暮れて追悼の歌を作り、宮殿の楽人に歌わせて、挙句にショックのあまり自殺したという。弟の劉友が餓死してからわずか半年後のことだった。

新しい趙王には呂禄が封じられた。