利用者:Rrreei/よみもの/『大日本帝国』をわかりやすく解説
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大日本帝国とは?[編集]
まず、大日本帝国について簡単に解説するが、江戸幕府は1603年以来数百年に渡り、日本における政権を掌握し続けていた。その中には、鎖国や参勤交代などの政策を行っていた。だが、1853年、アメリカ合衆国が日本に対し開国を要求。この出来事を「ペリー(黒船)来航」という。結果開国要求は幕府が朝廷に意見を聞かず、強引に開国をするのだが、この行動が朝廷を支持する者によって、不満を買った結果、各地で反発が起こり、結果的には当時老中だった井伊直弼によって弾圧されたのである。この事件を「安政の大獄」という。井伊はこれによって幕府に対する反発が減ると考えていたのだが、余計に反発を買われ、弾圧をした井伊直弼は水戸藩士の関鉄之助らによって暗殺された(桜田門外の変)。このような感じで色々といざこざがあった後、王政復古(大政奉還)され、朝廷新政府と呼ばれ国を再建していくと思われたが、幕臣によって戊辰戦争が勃発。これも朝廷(新政府)の勝利に終わった。そして、大日本帝国憲法が公布され、無事に立憲国家となり、無事に立派な国家となったという訳である。この憲法公布以前に、士族反乱という一揆があったのだが、知らなくても全然OKなのでここでは省略する。代わりに個人的に分かりやすく解説しているリンクを4つ貼っておく。
「なぜ新政府への士族の乱が続発したのか?」 受験生&親は必読! 近現代史を“逆”からざっくり解説(最終回) - 本が好き。
【不平士族の反乱まとめ】佐賀の乱から西南戦争まで - 歴史マガジン
不平士族が引き起こした5つの「士族反乱」を元塾講師が分かりやすく5分で解説 - Study-Z
5分でわかる!士族の反乱 - 高校日本史B - Try IT - Try IT
如何にして強大国となったか[編集]
日本は、以上で話したように無理やり開国を迫られていることから、日本が弱小国と見られていたに違いない事が分かる。だが、大日本帝国いずれ強大国となっていくのである。
日清戦争[編集]
※以下、大日本帝国は日本と表記する。(「大日本帝国において」などそういう記述は大日本帝国と表記します。)
日本が最初に強大国となる一歩といったら日清戦争だろう。日清戦争は、日本と清が宗主国を巡って発生した争いである。大本営は迷わず開戦を決意し、日清戦争のいずれの戦闘でも勝利し、日本は圧勝を収める。
以下は日清戦争のさらっと解説している。日清戦争は大日本帝国にとって大きな出来事に違い無いが、スルーしてもOKである。
日清戦争は、甲午農民戦争という事件から始まった。大本営は1895年7月25日に、清の輸送船を襲撃し勝利を収める。この戦闘を「豊島沖輸送船団襲撃戦」という。重要な海戦である「黄海海戦」でも、見事勝利を収め、「澎湖列島攻略作戦」という戦闘で、澎湖島周辺を占領し、日清戦争が終了。下関条約にて以下の内容が調印された。
- 朝鮮の独立を承認する。
- 日本へ清が2億テールの賠償金支払い。
- 台湾・遼東半島・澎湖列島の清の領土を日本へ割譲する。
- 最恵国待遇
- 日清戦争の講和条約。
など。(多少省略、順番は原文と同じようにしている。)
上から3番目にある割譲について、遼東半島は、三国干渉によって清に返され、台湾は後に住民により抵抗にあった(結果は勝利)。
参考文献・サイト一覧[編集]
書籍[編集]
- 『大日本帝国の謎』小神野真弘著(彩図社)2019年
- 『戦争の日本史19 日清戦争』原田敬一著(吉川弘文館)2008年
サイト[編集]
- 『世界史の窓』(http://www.y-history.net/)