冨森叡児
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冨森 叡児(とみのもり えいじ、1928年9月20日[1] - 2018年3月15日)は、政治評論家。元朝日新聞社常務取締役。
経歴[編集]
京都市生まれ。1951年同志社大学文学部社会学科卒業。1953年コロンビア大学大学院修士課程修了、朝日新聞社入社[2]。政治部記者[3]、政治部次長を経て[4]、1972年編集委員[5]。その後、東京本社政治部長[4][6]、編集局次長を経て、1983年編集局長[7]。1989年6月から2年間、常務取締役(出版・国際担当)[6]。1991年退社[5]。1993-1998年東海大学教授[2]。退任後、政治評論家[3]。日本政治総合研究所(IPSJ)運営委員も務めた[8]。
2018年3月15日、虚血性腸炎のため死去、89歳[6][9]。
1977年に日本評論社から刊行した『戦後保守党史』は名著として知られ[10]、1994年に社会思想社の現代教養文庫、2006年に岩波書店の岩波現代文庫から復刊されている。赤穂四十七士の一人冨森助右衛門の子孫であることから、赤穂事件を題材にした著書『うろんなり助右衛門』(草思社、2002年)もある[3][11]。
著書[編集]
- 『官僚7つの罪』(永田明著、地産出版[地産ブックス新書]、1974年)[2]
- 『戦後保守党史』(日本評論社[戦後史双書]、1977年/社会思想社[現代教養文庫]、1994年/岩波書店[岩波現代文庫]、2006年)
- 『日本型民主主義の構図』(朝日新聞社[ND books]、1993年)
- 『凧は揚がらず――迷走する政治改革』(朝日新聞社、1998年)
- 『素顔の宰相――日本を動かした政治家83人』(朝日ソノラマ、2000年)
- 『うろんなり助右衛門――ある赤穂浪士とその末裔』(草思社、2002年)
- 『昭和――戦争と天皇と三島由紀夫』(保阪正康、半藤一利、松本健一、原武史共著、朝日新聞社、2005年/改題『戦争と天皇と三島由紀夫』、朝日新聞出版[朝日文庫]、2008年)
出典[編集]
- ↑ 日本新聞協会編『日本新聞年鑑〈平成元年版〉』電通、1989年
- ↑ a b c 冨森叡児『戦後保守党史』岩波現代文庫、2006年
- ↑ a b c うろんなり助右衛門 / 冨森 叡児【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ a b 屋良朝苗『屋良朝苗回顧録』朝日新聞社、1977年
- ↑ a b 冨森叡児『戦後保守党史』社会思想社、1994年
- ↑ a b c 富森叡児さん死去 朝日新聞デジタル(2018年3月27日)
- ↑ 朝日新聞百年史編修委員会編『朝日新聞社史 昭和戦後編』朝日新聞社、1994年
- ↑ IPSJのページ 白鳥令のホームページ
- ↑ 富森叡児氏が死去 元朝日新聞社常務 日本経済新聞(2018年3月26日)
- ↑ 曽我豪編集委員「(日曜に想う)ある政治記者が残した論考」朝日新聞2018年4月22日付朝刊
- ↑ ラジオ日本 収録風景 NPO法人 マスコミ駆け込みクラブ