内空閑鎮房(うちくがしげふさ、1566年-1588年)は、室町時代後期から安土桃山時代にかけての武将、肥後国の国人。
父は内空閑鎮資。1587年の肥後国人一揆で隈部親永と共に活躍し、佐々成政を降伏させたとして有名。1598年、安国寺恵瓊に弟子入りしたが、立花宗茂に討たれ死亡。享年22。
その後は弟の内空閑鎮照が死後、内空閑鎮員が家督を継いだが、その後内空閑家は滅亡した。