第2回エンペディア大賞」が2月いっぱい開催中です。2024年に作成された記事の中から、お気に入りの記事に投票しましょう!

公孫脩

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
記事をシェア:
X(旧Twitter)にシェアする
Threadsにシェアする
Facebookにシェアする
はてなブックマークにシェアする
LINEにシェアする
ナビゲーションに移動 検索に移動

公孫 脩(こうそん しゅう、? - 238年)は、三国時代遼東に割拠した公孫氏の一族。父は公孫淵。叔父に公孫晃。祖父は公孫康。大叔父に公孫恭

生涯[編集]

遼東郡襄平県の出身[1]。238年に父が起こした公孫淵の乱に参加する[1]。しかし8月、明帝が派遣した司馬懿率いる軍に敗れ、父と共に数百の騎兵を率いて東南に逃亡するが、司馬懿に追撃されて父ともども処刑された[1]

三国志演義』でも登場し、自ら魏への人質になることで降伏しようとしたが拒否され、親子が向き合う形で処刑されている。

脚注[編集]

  1. 以下の位置に戻る: a b c 小出『三国志武将事典』P273

参考文献[編集]