入佐英之
名前 | ||||||
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本名 | 入佐 英之 | |||||
愛称 | イリサ、イリサン、ヒデくん | |||||
カタカナ | イリサ ヒデユキ | |||||
ラテン文字 | HIDEYUKI IRISA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
身長 | 168 | |||||
体重 | 70 | |||||
背番号 | 7 | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
– | 日章学園 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2004 | 佐川急便大阪SC | 25 | (2) | |||
2014 | MSU(現 テゲバジャーロ宮崎 | (0) | ||||
監督歴 | ||||||
2014 | FC Brilla | |||||
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入佐 英之(いりさ ひでゆき、1979年7月15日 - )は、宮崎県小林市出身の日本の元サッカー選手。 日本サッカー協会100周年表彰 厚労表彰。F.C.Brilla(エフ.シー.ブリーラ)代表兼監督。元佐川急便大阪SC。ポジションはミッドフィルダー。JFAスポーツマネージャーズカレッジ修了生。
愛称は、イリサ、イリサン、ヒデくん。背番号7、利き足は右。身長168㎝、体重70㎏。
来歴[編集]
小学3年生のときに、3歳年上の兄の影響で西小林スポーツ少年団でサッカーを始める。運動の大好きな少年で、毎週月曜日には体育の授業がないと腹痛を訴えて学校をさぼろうとしていた。中学校では、本人の入学と同時に創立した西小林中学校サッカー部で頭角を現し、九州地区トレセンに選出される。
高校は、当時日章学園の監督だった早稲田一男(現在は宮崎日大総監督)に憧れて鹿児島実業高等学校などの数校からの誘いを断り、日章学園高等学校へ進学する。入学してすぐにスターティングメンバーに起用され、1、2年時には左サイドハーフで3年時にはセンターハーフとして活躍した。2年生の時には全国高等学校サッカー選手権大会へ出場、チームの勝利に貢献した。
高校卒業と同時に、当時の佐川急便大阪SCへ入団、JFL昇格を経験、2004年までボランチとして活躍した。関西サッカーリーグ時代にはベストイレブン[1] にも選ばれる。チームメートには、本人がサッカーの本質を学んだと影響を受けた中口雅史などがいる。
選手引退後は、フロントとして主に企業との予算交渉やマネジメントを主に担当した。佐川急便東京SCとの合併後のSAGAWA SHIGA FCでのフロント時代[2] には、3度のJFL優勝を経験。
2012年チームの解散と同時に帰郷、指導者としてチームを作ることを目指す。指導方法は、滋賀県で当時長男が所属していたAZUL Football Club(当時、現在レアル・マドリード所属の中井卓大も所属)での経験が活きている。
2014年にはMSU(現在のテゲバジャーロ宮崎)に選手兼ジュニアチームの指導者として、約半年間関わったが同年9月には独立し小学生のジュニアチーム F.C.Brilla(エフ.シー.ブリーラ)を創立。短期間で、長崎県立国見高等学校、東福岡高等学校、浜松開誠館高等学校、前橋育英高等学校などのサッカー強豪校へOBを輩出し、少年サッカーの指導者としては一定の評価を得ている。
2016年には、アスランF.C.の鈴木章久監督と一緒に当時青山学院で指導していた宮崎出身の矢野雄彦[3] を誘い、ジュニアユースチーム F.C.Volaest Miyazaki の設立をサポートした。
2020年には、T's F.C.の清水寿郎監督、F.C. Volaest の徳重翔大コーチ(元 F.C.Brillaコーチ)と中高生向けのスクールも開校、地元宮崎で後進の育成にあたっている。
2021年4月には F.C.Brilla のジュニアユースチームを設立した。
所属クラブ[編集]
個人成績[編集]
- 入佐英之(Football Geist)
脚注[編集]
- ↑ “第31回(1996年) ~39回(2004年)” (日本語). 関西サッカーリーグ. 2020年8月27日確認。
- ↑ “【佐川急便】チーム名改称と08年のチーム...|ニュースリリース|佐川急便株式会社<SGホールディングスグループ>”. www2.sagawa-exp.co.jp. 2020年8月27日確認。
- ↑ “ヴォラエスト 監督? の気まぐれ日記”. ameblo.jp. 2020年8月27日確認。