徳重翔大

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サッカーボール.jpg
名前
本名 徳重 翔大
愛称 翔大、トク
カタカナ トクシゲ ショウダイ
ラテン文字 SHOUDAI TOKUSHIGE
基本情報
国籍 日本国旗.png日本
生年月日 1989年4月4日(35歳)
出身地 日本国旗.png日本宮崎県宮崎市
身長 173㎝
体重 65kg
選手情報
ポジション SB
背番号 17
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2012 MSU 4 (0)
2013 FC KAGOSIMA 3 (0)
2013 ヴォルカ鹿児島 12 (0)
2014 MSU 7 (1)
2015-2019 JFC MIYAZAKI 63 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート■スポーツPT

徳重 翔大(とくしげ しょうだい、1989年4月4日[1] - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の元アマチュアサッカー選手で、サッカー指導者。ポジションはSB(サイドバック)。実父は、宮崎市議会議員の徳重淳一。

来歴[編集]

小学校1年生から生目台サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。先輩に元プロサッカー選手の入船和真がいる。転居を機に、小学4年生より大塚サッカースクールへ移籍。小学6年時には、宮崎市のトレセンに選ばれ、宮崎市リトルリーグでは得点王に選ばれる。

中学1年時は部活動で活動していたが、当時創立した旭スポーツへ2年生より移籍。中学時は宮崎県トレセンにも選ばれ、黒木聖仁などと活動した。中学生までは、FWとして活躍したが高校生以降、MFとSBを中心にGK以外のポジション全てを経験する。

OBの興梠慎三に憧れ、鵬翔高等学校へ進学する。この時期からFWからMFやSBにコンバートされる。宮崎産業経営大学へ進学し4年時には、当時1年で入学してきた鈴木義宜とコンビを組んでいた。また、デンソーカップの九州大学選抜に選ばれ、左SBとして全試合フル出場をした。|date=2021-04}}チームメイトには、石津大介などがいた[2]

大学を卒業し、J2の2チームから練習生の誘いを受けたが、契約までは至らずに地元のMSU(現・テゲバジャーロ宮崎)に所属した。その後、F.C.KAGOSIMAやヴォルカ鹿児島(いずれも現・鹿児島ユナイテッドFC)を経て、地元のMSUへ戻るが|date=2021-04}}、最後は、J.F.C.Miyazaki(現・ヴェロスクロノス都農)に入団[3]。約5年間プレーし、九州サッカーリーグでは3度のベストイレブンに選出される。2019年に退団した。

また、MSU(テゲバジャーロ宮崎)でプレーしていた時に、一緒にプレーしていた入佐英之との出会いから少年サッカーの指導に興味を持ち、F.C.Brillaの指導に関わる。

2021年現在は、F.C.Volaest Miyazakiのコーチとして、後進の育成に携わっている。

所属クラブ[編集]

  • MSU(現・テゲバジャーロ宮崎)
  • F.C.KAGOSIMA(現・鹿児島ユナイテッドFC)
  • ヴォルカ鹿児島(現・鹿児島ユナイテッドFC)
  • J.F.C.Miyazaki(現・ヴェロスクロノス都農)

脚注[編集]

  1. DF17 徳重 翔大(トクシゲ ショウダイ) - ヴェロスクロノス都農オフィシャルサイト(2021年4月20日閲覧)
  2. OB紹介 - 宮崎産業経営大学サッカー部(2021年4月20日閲覧)
  3. J.FC MIYAZAKI (九州地域代表/宮崎県) - 日本サッカー協会(第54回全国社会人サッカー選手権大会)

外部リンク[編集]