偶像礼拝
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偶像礼拝とは、偶像を拝むことを意味するキリスト教の用語である。
人が犯す通常の罪の中で(特殊なものを除けば)最大級の罪とされている。
偶像崇拝と言う場合もあるが、プロテスタント諸派では「偶像礼拝」と言う場合が多い。エホ証では偶像崇拝と言うようである。
具体的に偶像礼拝とは[編集]
- 仏壇を拝むことは偶像礼拝である。
- 神棚を拝むのは偶像礼拝である。
- 仏像を拝むことは偶像礼拝である。
- 観音像を拝むのは偶像礼拝である。
- 外国の神々の像や女神像を拝むのは偶像礼拝である。
- 神社仏閣に参拝するのは偶像礼拝である。
- 死人崇拝も偶像礼拝である。
- 聖書の登場人物の像を拝んでも偶像礼拝である。
- キリスト像やマリヤ像や天使像や聖人像を拝むのも偶像礼拝である。
偶像礼拝に近い行為[編集]
- 拝金主義も偶像礼拝である。
- 占いや交霊術も偶像礼拝と同じかそれ以上の罪である。
- 趣味や娯楽や仕事に過度に没頭することも偶像礼拝になり得る。
下手な牧師の教え方の例[編集]
- 教会に初めて来た人に「偶像礼拝は罪だ」と教えない。その結果、教会に初めて来た人でキリスト教に殆ど知識のない人は、教会に行ったことで変に宗教心に目覚めてしまい、家に帰ってから仏壇を拝みまくってしまう可能性が高い。
- 教会に初めて来た人に「偶像礼拝は罪だ」とストレートに教えず「偶像とはお金のことです」などと教えてしまう。お金だって偶像になり得るものだが、偶像とは基本的には、拝むために造られた像のことなのである。それをストレートに教えない結果、教会に来たばかりの人は偶像礼拝の罪を犯し続けることになってしまう。
- 欧米人の牧師(宣教師)に多い例。教会に初めて来た人に「偶像礼拝はいけません」とストレートに教えるのは良いが、偶像とは普通は日本では使われない単語である。聖書翻訳者が中国語聖書から借用した中国語なのである。宣教師は「日本語で教えたから分かっただろう」と思ってしまうようだが、日本人でキリスト教の知識がない者は意味が全く分からないのである。片言の日本語を話す宣教師に「偶像(偶像礼拝)って何ですか?」と質問するのも面倒臭いので空返事をしてしまう。家に帰って仏壇でもあれば、どういう行動に出るかお察しください。
偶像礼拝の害[編集]
偶像礼拝は単に罪(神に背く行為)であるだけではなく悪霊と交わることになる。第一コリント10:20
悪霊たちが活動できない状況下であれば、偶像礼拝をしても理論的には悪霊と交わることにはならない。しかし、そのような状況下であっても偶像礼拝は重大な罪である。