保昌正夫

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保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 -2002年11月20日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。

人物[編集]

東京出身。早稲田大学高等師範部卒業。早稲田高等学院教諭、早稲田大学講師をしながら同人誌『銅鑼』などに評論を発表。横光利一を中心に、牧野信一結城信一など昭和文学を研究し、『定本横光利一全集』の編集校訂にあたる。日本近代文学館の設立にも関与。1968年武蔵野美術大学助教授、同大学教授、1979年相模女子大学教授、1989年立正大学文学部教授。

西村賢太との関係[編集]

西村賢太は『一私小説書きの日乗 不屈の章』236pに「小説を書き始める以前の”奇妙”で”酔狂”な、”わけの分からぬ自称藤澤清造研究者”視されていた頃、この館(日本近代文学館)の創立時からの評議員だか何んだかをやっていた、"古本好きの温厚な人格者"で通っているらしい大学教授に、己れのメンツを保つ為と覚しき、或る姑息で浅ましい妨害を受けたことがある(この私小説好きだった男は、此方の小説が商業誌に載り始める直前に、七十幾つかであえなく頓死したようだが・・・」と書いているが、これが保昌のことであろう。しかし西村と親しかった朝日書林の荒川義雄は、このように書いている。 「『田中英光私研究』に自身の小説を載せてるじゃないですか。保昌正夫さんという横光利一研究家の方が、その小説をすごく褒めたんです。・・・同人の『煉瓦』にも僕が紹介したんです。」