体育授業廃止論
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体育授業廃止論(たいいくじゅぎょうはいしろん)・学校体育不要論(がっこうたいいくふようろん)とは、学校で全員必修の体育の授業のあり方を改めるべきという主張である。
概要[編集]
この主張の方向性としては、
が挙げられる。
決して体育嫌いだった者達が勝手に言っているだけではない。
運動嫌いの子供の「体育の授業いらなくね?」という意見に肯定的な者も含めれば、相応な数の体育廃止論支持者が居ると見られる。
一方、DCDの子供のように脳の機能的な問題で運動ができない事に対しての無理解な対応が多いことも見直し論の理由の一つに挙げられる。特に親の教育方針によって、本来支援学級相当なのに普通学級に入れられる発達障害生徒の体育の授業での不適応ぶりも問題となっている。
求めるものとしては、学校から体育という教科・科目を完全に消し去るという意見から、体育のコマ数の削減、体育はあっても良いが全員必修ではなく希望者のみ履修する選択教科への移行、実技と座学を設定しどちらかを選択する選択制の導入、スポーツクラブでの無償のスポーツ活動を必修クラブ活動[注 1]として出欠や履修認定を行うといった体力に応じた健康保持観点への移行といった意見まで幅が広い。
目立つ理由[編集]
体育だけ廃止論や見直し論が目立つ理由としては
- 出来なかったことに対する教師の理不尽な叱責。体育ではやり方をまともに教えることなくいきなり挑戦させるため[注 2]。
- クラスメイトの前で実技を行わせ、不得手な子供が笑われること
- 集団競技での仲間外しによる孤立化
- 負傷事故・死亡事故の発生
- DCDなど、児童の特質が無視され、平等な集団指導を是とする風潮
などが挙げられる。
反論[編集]
体育授業廃止論に反対・批判的な意見として、子供に逃げ癖が付く、温室育ちを量産するなどが挙げられる。
また、スポーツライターの長田渚左は自著の「スポーツのできる子どもは勉強もできる」で、体育を大学入試に課すべきと主張している。