井之川巨
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井之川 巨(いのかわ きょ、1933年 - 2005年)は、日本の詩人。
略歴[編集]
東京生まれ[1]。東京都立小山台高等学校出身[2]。1950年代日本共産党の地域人民闘争に参加[3]。江島寛(星野秀樹)、高島青鐘とともに下丸子文化集団(後の南部文化集団)のオルガナイザー、理論的リーダー、アジテイターとして活動。1974年に自身の詩集、翌1975年に江島・高島の遺稿集を刊行し文学活動に復帰[2]。詩誌『騒』『原詩人』同人。日本現代詩人会、新日本文学会会員[1]。
人物[編集]
- 『永井啓之追悼集』[4]に「“敵を殺せ”考」という文章を寄せている。1955年の六全協で共産党が何の反省もなく軍事路線を放棄したことにショックを受けたといい、1955年を「二度目の敗戦記念日」と書いている。また共産党を批判して登場してきた新左翼セクトも基本的に共産党と変わるものでなかったと書いている[3]。
- 『人民新聞』で内ゲバ手打ちを呼びかけたことがある[5]。
- 「白井朗氏、角田富夫氏へのテロ襲撃を弾劾する緊急声明」の賛同人[6]。
著書[編集]
- 『詩と状況おれが人間であることの記憶』社会評論社、1974年
- 『鋼鉄の火花は散らないか――江島寛・高島青鐘の詩と思想』編、社会評論社、1975年
- 『アカマタ・クロマタ――井之川巨詩集』原詩人叢書刊行委員会(原詩人叢書)、1979年
- 『反国家宣言――井之川巨政治詩集』原詩人叢書刊行委員会(原詩人叢書)、1981年
- 『オキナワ島唄』海風社(南島叢書)、1987年
- 『反天皇――井之川巨詩集』原詩人社(原詩人アンソロジー)、発売:文彩社、1987年
- 『反旗――沖島正・井之川巨二人詩集』沖島正共著、原詩人社(原詩人アンソロジー)、発売:文彩社、1988年
- 『石油を食いすぎた胃袋――井之川巨詩集』原詩人社、1993年
- 『詩集 かみさんと階段』青娥書房、1998年
- 『君は反戦詩を知ってるか――反戦詩・反戦川柳ノート』皓星社、1999年
- 『偏向する勁さ――反戦詩の系譜』一葉社、2001年
- 『旧世紀の忘れ唄――井之川巨詩集』新・現代詩の会、2002年
- 『井之川巨詩集』土曜美術社出版販売(新・日本現代詩文庫)、2003年
- 『詩があった!――五〇年代の戦後文化運動から不戦六十年の夜まで』一葉社、2005年
出典[編集]
- ↑ a b 偏向する勁さ / 井之川 巨【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ a b 井之川巨編『鋼鉄の火花は散らないか――江島寛・高島青鐘の詩と思想』社会評論社、1975年
- ↑ a b 詩人・井之川巨さんの一文 ざつぶん(2007年11月21日)
- ↑ 『永井!こっちに来い 今なおぼくたちと共にありつづける君に 永井啓之追悼集』永井啓之追悼集編集委員会、1999年。永井啓之は革労協(狭間派)元幹部。1989年内ゲバで死亡。
- ↑ 近藤秀樹「未経験のため馬鹿を繰り返したのは70年安保世代だけではない」『人民新聞』2001年12月5日(通巻 1095号)
- ↑ 白井朗氏、角田富夫氏へのテロ襲撃を弾劾する緊急声明のご賛同のお願い 赤色土竜新聞
関連文献[編集]
- 「平和人物大事典」刊行会編著『平和人物大事典』日本図書センター、2006年