丘力 居(きゅうりき きょ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。烏丸族の大人(単于)。子に楼班。
遼西鳥丸の大人で、168年に5000余の集落を支配していた[1]。187年に中山郡太守の張純が反乱を起こすと(張純の乱)、丘力居もこの反乱に結託し、青州や幽州など近隣4州を荒らしまわって殺人や略奪を行なった[1]。188年に劉虞が幽州牧に任命されて反乱鎮圧のために懐柔策をとると、丘力居は張純を見捨てて帰順した[1]。その後、初平年間である190年から193年の間に死去したといわれる[1]。
『三国志演義』には登場しない。