ヴァレリー・ジスカール・デスタン
ヴァレリー・マリー・ルネ・ジョルジュ・ジスカールデスタン(Valéry Marie René Georges Giscard d'Estaing[1]、フランス語発音: [valeʁi maʁi ʁəne ʒɔʁʒ ʒiskaʁ dɛstɛ̃]、1926年2月2日 - 2020年12月2日)は、フランスの政治家。第20代フランス大統領(フランス第五共和政・在任1974年 - 1981年)。ジスカールまたはVGEとも呼ばれる。先進国首脳会議(サミット)の生みの親として知られている。
略歴[編集]
第1次世界大戦下でフランスが占領していたドイツ南部のコブレンツで、高級官僚の家族として生まれる。国立行政学院を卒業して、1952年に財務省に入省。1956年に国民議会(下院)議員として初当選を果たして政治家となる。当時のシャルル・ド・ゴール大統領、ジョルジュ・ポンピドゥー大統領のもとで財務大臣を務めている。
1974年の大統領選で、左派のフランソワ・ミッテランを破って当選を果たして大統領に就任。親米的な大西洋外交を推進して外交で存在感を示した。同時期に第1次石油危機が起こると、その対応を協議するために先進国首脳に働きかけ、1975年に第1回先進国首脳会議(ランブイエ・サミット)を主催したことで知られている。
しかし、1981年の大統領選でミッテランに敗北して1期で大統領から退任。以後は2004年まで下院や欧州議会などの議員・政治活動を続けて、中道・右派の政界のご意見番として知られていた。2001年から2003年にはEUの将来像協議会議長を務め、EUの基本条約となる欧州憲法草案を取りまとめた。
回顧録など著作も多数あり、2003年にはフランスで最も権威のある学術団体アカデミー・フランセーズの会員に選ばれている。
2020年12月2日、新型コロナウイルス感染により、フランス中部オートンの自宅で死去した。94歳没。その死去にフランスやドイツから追悼の声が送られた。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
いずれもフランス語: