永瀬忠志 (ながせただし)は島根県出雲市出身の教員である。「リヤカーマン」の名で知られている。
高校生のときに自転車で大阪市に自転車旅行したのを皮切りに大阪産業大学工学部機械工学科入学後の18歳で自転車で日本一周を達成、卒業年には「田子作号」と名付けたリヤカーを引いてオーストラリア大陸横断した徒歩旅行を行い、一躍有名になった。大阪府立の工業高校の教員として4年間働いて退職したあと、その資金で冒険旅行を行った。