ホーレス・ウィルソン
ホーレス・ウィルソン(Horace Wilson、1843年2月10日 - 1927年3月4日)はアメリカ出身の英語教師である。日本に野球を教えた人として知られる[1]。2003年に野球殿堂入りしている。
概要[編集]
アメリカ合衆国メイン州南部海岸のカンバーランド郡に属する町ゴーラムで生まれた。南北戦争では志願して第12連隊メインボランティア歩兵で南部連合と戦った。退役後は、明治政府にお雇い外国人として雇われ、1871年(明治4年)8月から1877年(明治10年)7月まで開成学校(現東京大学)で英語と数学を教えた[2]。
ウィルソンは学生に運動が必要と考え、1872年又は1873年頃、開成学校で野球を教えた[3]。当時は7インニングのゲームとして教えた。教えた野球は、開成学校から同校の予科の東京英語学校(後の大学予備門、第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった[4]。
なお小樽商科大学の沼田久(名誉教授)は札幌農学校の前々身である開拓使仮学校においてアメリカ人教師のアルバート・バイツが1873年(明治6年)に野球を生徒に教えたとする[5]。沼田久は開成学校ではノックを教えただけで、開拓使仮学校では、試合をも行ったとする。
ホーレス・ウィルソンは1877年にアメリカ合衆国に戻り、サンフランシスコに住んだ。図書館で働きながらスパーバイザーとしてサンフランシスコ市の運営に携わった(サンフランシスコ市歴史資料室資料、1901年11月1日から1903年まで)[6]。 1927年に84歳で亡くなった。
野球殿堂入り[編集]
2003年に野球を伝えた功績により、野球殿堂入りした[7]。また日本での6年間の教育の功績により勲五等双光旭日章が授けられた(記録が総理府勲章局にある)。
記念碑[編集]
「日本野球発祥の地」記念碑は学士会館敷地内(東京都千代田区神田錦町3丁目)に建立されている[4]。
注[編集]
- ↑ Japanese Baseball Began On My Family's Farm In MaineWBUR News、2014年3月28日
- ↑ 広瀬謙三(1964)『日本の野球史』日本野球史刊行会
- ↑ Gorham Man's Gift to Japan: A National Pastime
- ↑ a b 「日本野球発祥の地」記念碑
- ↑ 小樽商科大学百年史編纂室編(2011)『小樽商科大学百年史』小樽商科大学出版会
- ↑ Dennis Snelling(2017)"Lefty O'Doul: Baseball's Forgotten Ambassador"Univ of Nebraska Pr
- ↑ WILSON, Horace