ホテルニュージャパン火災
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ホテルニュージャパン火災(ホテルニュージャパンかさい)とは、昭和57年(1982年)に東京都千代田区永田町2丁目にあったホテルニュージャパンで発生した火災事件である。
概要[編集]
9階938号室に宿泊していた男性客のタバコの不始末によって出火。消防法や関係法令・規則等を遵守していれば火災は防げた或いはもっと被害を小さくすることが出来たのだが、建物がY字三差型の複雑な基本構造で方向感覚がマヒしやすく、防火区画が不完全な上にオーナーの利益優先主義が祟って防火管理意識が薄くスプリンクラーなどもほぼ機能しなかった。そのため建物の7階から10階までと塔屋部分の4,186平方メートルを焼失し、33人が死亡、34人が負傷する惨事となった。火災発生が最初に消防に通報されたのは午前3時39分頃で、ホテルの従業員からではなく近隣を通りがかったタクシードライバーからであった。
火災の規模の大きさから東京消防庁は最高ランクの出場態勢である火災第4出場に加えて増強特命出場、救急特別第2出場を発令。消防総監が現場に出向いて指揮車両から出場全部隊を陣頭指揮を行った。
火災後にホテルは廃業したが地下にあったナイトクラブはホテルと別テナントであったため、1989年まで営業を続けた。建物は競売にかけられるも買い手がつかず、1996年に解体。2002年にプルデンシャルタワーが開業した。