ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル
ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルは、ドイツに位置し、ブランデンブルク州の州名の由来となった都市である。
概要[編集]
ドイツの都市。エルベ川の支流、ハーフェル川の両岸に広がる都市。神聖ローマ帝国の時代、このあたりが東の国境であり、この地にブランデンブルク辺境伯が配置された。辺境伯は後にベルリンに移り、19世紀にドイツ皇帝となった。
ブランデンブルク州は、この町を由来とする州名だが、事実上の州の中心はベルリンである。
町の本来の名前は「ブランデンブルク」だが、他のブランデンブルクと区別するため、都市の正式名称にはハーフェル川沿いを意味する「アン・デア・ハーフェル」がつけられている。
地理[編集]
エルベ川の支流、ハーフェル川の両岸に広がる都市。川の北岸が旧市街、南岸が新市街。
気候[編集]
西岸海洋性気候(Cfb)に属する。夏は釧路並に涼しく、冬は秋田並に温暖である。
歴史[編集]
現在はドイツの一部となっているが、かつてはポーランド人に近いスラヴ系の住民が多く住んでいた。10世紀頃より西から神聖ローマ帝国が進出し、周辺一帯は「ノルトマルク」と呼ばれた。1157年より、神聖ローマ帝国の統治が及ぶ様になり、ブランデンブルク辺境伯がこの地に配置された。初代辺境伯は、アスカーニエン家出身のアルブレヒト1世。1257年以降は神聖ローマ皇帝の選帝侯となる。アスカーニエン家は14世紀に断絶し、バイエルン公家のヴィステルバッハ家、チェコ王家のルクセンブルク家が順に辺境伯となる。
1415年よりニュルンベルクの領主であったホーエンツォレルン家がブランデンブルク辺境伯となった。この時に、辺境伯の居城がブランデンブルクからベルリンに移され、ブランデンブルクは領内の一都市となる。一方、ホーエンツォレルン家の領土は、プロイセンの統合以降拡大を続けてドイツを統一し、ベルリンはドイツの首都となった。一方、ブランデンブルクの名前も、州の名前として残っている。
都市の構成[編集]
以下の3つの地域に分かれる。
- 旧市街
- ハーフェル川北岸。市電のリッター通り・美術館停留所周辺。
- 新市街
- ハーフェル川南岸で、運河より北。市電の新市街市場停留所周辺で、ドイツ鉄道の駅も近い。
- 教会島
- 聖ペテロ・パウロ聖堂のある中洲。
交通[編集]
空港[編集]
町から東へ65kmの所にあるベルリン空港が最寄。
鉄道[編集]
市の南東部にあるブランデンブルク駅が中心駅で、都心部からは市電でアクセスできる。ベルリン方面の快速列車が頻繁に発車する駅だが、ハノーファーなどに向かう特急列車も一部停車する。市西部にはブランデンブルク旧市街駅もあるが、こちらはローカル電車中心。
市内には市電も全2系統が新市街を中心に運行している。