パヨク
パヨクは、左翼をもじったインターネットスランク。
パヨク誕生前史[編集]
元女優の千葉麗子は、福島県出身だったことから2011年の原発事故以降、元・朝日新聞記者でフリージャーナリストの烏賀陽弘道と共に「チバレイ・ウガヤの言論ギグ!」と題した原発に疑問を呈する等の集会を2014年4月20日の第1回[1]から定期開催したり[2]、それ以前にも「基本的人権丸ごと削除!表現の自由剥奪!自民憲法改悪草案をぶった切る!」と題した集会で司会を務めたり(2013年5月23日)するなど[2]、左派活動に継続的に参加して[3][4]「『左派勢力』のマドンナ的存在として活躍」していた[5]。
しかし、2015年3月20日に第7回の「チバレイ・ウガヤの言論ギグ!」を開催した[2]約1ヶ月後の2015年4月14日、自身のFacebookにて「Twitterで流れている誹謗中傷」・「私と私の友達らを誹謗中傷」との理由で当該Twitterアカウントと見られる画像を添付の上で自身の左派活動の仲間を非難し、「これ以上、私や私の周りに粘着してくるようであればこちらもそれなりの考えがあります。」と表明した[6]。
その更に半年後の2015年9月28日、自身のTwitterにて先のFacebook投稿にて非難した対象と同じTwitterアカウントの内の1つの画像を添付し、「○○大卒マザコン野郎○○」[注釈 1]と、当該Twitterアカウントのみならず、実名・本名を挙げた[7]。
なお、ここで千葉麗子のTwitterアカウントが当該Twitterアカウント(既に削除)へ送ったリプライ(Twitterにおける返信)を振り返ると[8]、2012年9月7日に「お疲れ様でした」等と送った[9]頃から当該アカウントにリプライを送り始め、その後、
- 「おぱよー」(2013年4月23日[10]・5月30日[11])と「ぱよ」を含むリプライを送り始めたのを皮切りに、
- 「ぱよー」(2013年5月13日[12]・28日[13])、
- 「ぱよぱよー」(2013年6月2日[14]・9日[15])、
- 「ぱよぱよぱよぱよぱよぱよぱよぱよぱよぱよぱよぱよー」(2013年6月7日)[16]、
- 「おぱよぱよー」(2013年6月8日)[17]
など、最初の1ヶ月半で既に多様に変化していたことが確認でき、そして、千葉麗子のTwitterアカウントから当該Twitterアカウントへ送られた「ぱよ」を含むリプライが2014年1月18日頃まで続いていたこと[18]、翌19日に当該Twitterアカウントの人物「と帰路に着」いたこと[19]、そして、更に2日後の21日に「美味ちぃ、ね」とリプライを送った[20]のを最後に、千葉麗子のTwitterアカウントから当該Twitterアカウントへのリプライが途絶えたこと等も確認できる[8]。
千葉麗子は、当該Twitterアカウントの人物と不倫交際していたことを、後に明らかにしている[21][5]。
2つの事件。そしてインターネットスラング「パヨク」誕生[編集]
2015年10月~11月にかけ、シリア難民少女写真無断トレース「人種差別」・「侮辱」イラスト事件、Facebook公開個人情報無断リスト化事件という事件が相次いで発生した。
以上の一連の過程で、上述の通り、千葉麗子が、かつて不倫交際していた左派活動の仲間との間で相互に、Twitterで「ぱよぱよちーん」などぱよを含むツイートを繰り返していたことが注目を集めることとなり[5][21][22][23]、早速11月2日(2015年)には、「パヨク」という語句がTwitterでツイートされていたことが確認できるなど[24]、「パヨク」という語句が使用され始めるようになった。
千葉麗子は、この頃から右派活動に転向し、翌2016年春に自著「さよならパヨク」を出版した[3][5][4]。
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ Wikipedia日本語版への引用にあたり、大学名や個人名など固有名詞を伏せる。
出典[編集]
- ↑ “チバレイ・ウガヤの言論ギグ!第一回目「フクシマ原発事故をもう忘れたの?」”. 新宿ロフトプラスワン・ロフトプロジェクト (2014年4月20日). 2020年5月26日確認。
- ↑ a b c “千葉麗子”. Independent Web Journal (岩上安身・Independent Web Journal). (2015年3月20日) 2020年5月26日閲覧。
- ↑ a b “元祖電脳アイドル千葉麗子さん“パヨク”の実態暴露 反原発デモ痛感した独善的体質”. 夕刊フジ (産業経済新聞社). (2016年4月22日) 2020年5月26日閲覧。
- ↑ a b 中川淳一郎 (2016年3月27日). “「サヨク」を「パヨク」と呼び始めたネット論争とその余波”. 週刊ポスト (小学館) 2020年5月26日閲覧。
- ↑ a b c d 村西とおる (2016年5月31日). “「不自由な言論空間・ロフトプラスワン、イベントであったことの一部始終」”. 2020年5月26日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2015年4月14日). “Twitterで流れている誹謗中傷を鵜呑みにするなんて”. Facebook. 2020年5月27日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2015年9月28日). “REIKO CHIBA on Twitter キミも、…”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ a b Twitter検索欄に「from:@CHIBAREI_DURGA MetalGodTokyo」と入力すると確認できる。
- ↑ 千葉麗子 (2012年9月7日). “REIKO CHIBA on Twitter @MetalGodTokyo お疲れ様でした”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年4月23日). “おぱよー♬”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年5月30日). “おぱよー、”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年5月13日). “ぱよー^_^”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年5月28日). “ぱよー♡”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年6月2日). “ぱよぱよー♡”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年6月9日). “ぱよぱよー、”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年6月7日). “ぱよぱよぱよぱよ”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2013年6月8日). “おぱよぱよー、”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2014年1月18日). “○○ちん、おぱよー♥️”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2014年1月19日). “沢山の皆が集まってくれて、”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ 千葉麗子 (2014年1月21日). “美味ちぃ、ね♥️”. Twitter. 2020年5月28日確認。
- ↑ a b Taka (2016年4月25日). “「ぱよぱよちーん」との関係も赤裸々に……千葉麗子さんの著書『さよならパヨク』が『Amazon』総合1位”. ガジェット通信 (東京産業新聞社) 2020年5月28日閲覧。
- ↑ 春山修司 (2015年11月8日). “千葉麗子のツイートが「ぱよぱよちーん」男の身元特定に貢献”. ニコニコニュース(デイリーニュースオンラインより転載). メディアシンク (ドワンゴ) 2020年5月29日閲覧。
- ↑ 篠原修司 (2015年11月29日). “Twitterでおわる人生。匿名で安心のはずが実名バレ、会社を退職するハメに”. Yahoo!ニュース (Yahoo! JAPAN) 2020年5月29日閲覧。
- ↑ アルル(ღˇᴗˇ)。o♡ (2015年11月2日). “やることなすこと、ちゃらんぽらん。”. Twitter. 2020年5月29日確認。