トニー谷

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レディス・アンド・ジェントルマン、おとっつあん、おっかさん

トニー谷1917年10月14日1987年7月16日)は、東京都中央区ボードビリアン。戦後間もない反米の潮流を逆手に取り嫌われ芸で一世を風靡した。

概要[編集]

印象に残るフォックスメガネコールマンヒゲ、欧米風のスーツを小粋に着こなし、日本人の反米感情を逆なでするかのようなトニー谷風イングリッシュで大いに売れる[1]。小説家の小林信彦は、トニー谷の事を「嫌われ芸」「憎まれ芸」の第一人者と呼んでいる。

だが、1955年のトニーの人気をねたんだ犯人による長男誘拐事件で、嫌われ者の真の姿をお茶の間に晒し、憎まれキャラは終焉した。

その後、そろばん片手にアドリブを生かした1962年のTV『アベック歌合戦』で再復活する。

晩年は永六輔の協力の元、小さなホールを廻る日々だったという。1986年12月26日の渋谷「ジァンジァン」の出演がラストステージだった。

余談[編集]

トニー谷をテレビで見たのは同時期だったか。ビートたけしの番組に出て、加藤諦三の著作から盗作をしてしまったビートきよしを責める内容だったと記憶している。

流行語[編集]

日本語の一部を英訳したものや、独特の語感「ねちょりんこん」などが用いられた。

  • レディスアンドジェントルマン、おとっつあん、おっかさん
  • 家庭の事情
  • さいザンス
  • あなたのお名前なんてぇの

脚注[編集]