チョルノービリ原発事故
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チョルノービリ原発事故(チョルノービリげんぱつじこ)とは、1986年4月26日、当時のソビエト社会主義共和国連邦ウクライナ社会主義共和国であった現在のウクライナ北部のチョルノービリ原発で、試験運転中の4号機が安全装置が働かずに暴走して爆発し、大量の放射性物質が欧州など、ユーラシア大陸全体に広がり、汚染した事故のことである。
概要[編集]
この結果、1号機や3号機は2000年までに閉鎖した。この事故で数十名が急性放射線障害で死亡し、数十万人が移住することを強制された。この事故の深刻さを示す国際尺度は東京電力福島第1原発事故と同じ史上最悪のレベル7である。
2022年のロシアの侵攻[編集]
2022年のウクライナ軍事侵攻が始まると、侵攻初日の2月24日に国境からわずか10キロほどのチョルノービリ原発はロシア軍によって制圧された。2022年現在では事故を起こした4号機を含む4基の原子炉は稼働していないが、使用済み核燃料の管理は続いている。ロシア軍は同年5月時点でウクライナ北部からは撤退してウクライナ軍の手に戻っているが、ウクライナ軍は原発から半径30キロの立ち入り制限区域内に検問所を幾つも設置し、兵士が監視の目を光らせている。
チョルノービリはロシア語で「チェルノービリ」、聞こえ方によっては「チェルノブイリ」であり、以前は本事故も「チェルノブイリ原発事故」の名前で知られていた。