アルド・ラド

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アルド・ラド(Aldo Lado、1934年12月5日 - 2023年11月25日)は、イタリアの映画監督、脚本家、小説家。

経歴[編集]

イタリアフィウメ(現在のクロアチア・リエカ)で生まれ、ヴェネツィアで育つ[1]マウリツィオ・ルチーディ監督とベルナルド・ベルトルッチ監督(『暗殺の森』)の助監督を務めた[1]ダリオ・アルジェント監督の『歓びの毒牙』(1970)の脚本作りを無記名で手伝い[2]、ルチーディ監督の『定められた生贄』(1971)の脚本を共同で担当した。

1971年にジャッロ映画ガラス人形の短い夜』で監督デビューした。1972年にベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』を手伝いながら、ジャッロ映画『死んでいるのは誰?』(1972)を監督した[2]。続いてドラマ映画『La cosa buffa』(1972)、『Sepolta viva』(1973)、『家庭教師』(1974)、ホラー映画『暴行列車』を監督した。アメリカのレイプ・リベンジ・ムービー鮮血の美学』(1972)に心酔した製作者に請われて監督した[2]『暴行列車』は「イタリアで製作された最も粗野で暴力的な映画のひとつ」とされる[1]

1979年に『スター・ウォーズ』(1977)と『フランケンシュタイン』の影響を受けたSFアクション映画『ヒューマノイド/宇宙帝国の陰謀』をジョージ・ルーカスに似せたジョージ・B・ルイス(George B. Lewis)の名義で監督した[1][3]。同作はイタリアのSF映画のカルト映画とみなされている[1]。1981年にアルベルト・モラヴィアの小説を原作としたエロティック・ドラマ『蒼い本能』を監督した[2]。1989年にパリ人肉食事件を題材とした『愛のかたち』を監督した[2]

80年代以降はテレビ映画や脚本家の仕事を中心に活動し、2016年に初の短編小説を発表してからは小説の執筆を中心に活動した[1]マッジョーレ湖畔のアンジェーラに数年間住んでいたが、2021年にブラッチャーノ湖畔のトレヴィニャーノ・ロマーノに引っ越した[1]。2023年11月25日、ローマの自宅で死去した。88歳だった[1]

作品[編集]

監督[編集]

脚本[編集]

出典[編集]

  1. a b c d e f g h È morto Aldo Lado, regista cult del Guerre stellari italiano "L'umanoide" Rai、2023年11月26日
  2. a b c d e 山崎圭司「『暴行列車』の運転手アルド・ラド監督の「厭な」な世界」、山崎圭司、岡本敦史、別冊映画秘宝編集部編『厭な映画』洋泉社、2015年
  3. L'umanoide IMDb

外部リンク[編集]