グラノヴィータヤ宮殿
グラノヴィータヤ宮殿(ぐらのヴぃーたやきゅうでん)とは、ロシアの皇帝が戴冠式を執り行ったことで著名な、クレムリン内に存在する宮殿。多綾宮と言う別名をもっている。名の由来は、この宮殿の外のファザードのタイルに、菱形のタイルが嵌め込まれており、大変美麗であることに由来するといわれている。
概要[編集]
モスクワのクレムリンのなかで、最も古い建築物に分類されるグラノヴィータヤ宮殿の、世界文化遺産登録の基準と建築の経緯と用途について述べる。
世界遺産登録[編集]
モスクワのクレムリンは、1990年にユネスコ・世界文化遺産に登録された。よって、グラノヴィータヤ宮殿も世界文化遺産に登録された。登録された経緯は、以下の世界文化遺産登録条件を満たしたためである。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
建築の経緯と用途[編集]
クレムリンの聖堂広場の西側に位置し、ロシアのクレムリン内の建築物としては古級のものであり、その歴史は、モスクワ大公国の後期に遡ることができ、紀元1480~1891年に建設が確認できる。ツァーリをなのり、全ロシア地域の皇帝であり支配者であると自称した、イヴァン3世が、モスクワのクレムリンを拡張するに当たり、はるばるイタリアの地からすぐれた建築家であるマルコ・ルッフォとピェトル・ソッラーリらを呼び寄せ、イヴァンはグラノヴィータヤ宮殿を築かせた、と言う[1]。建造物の内部には、高さ9メートルの巨大なドームやアーチを多用した大ホールが存在し、ロシア帝国後期には、其処でピョートル1世の戦勝記念祝典や、イヴァン4世(雷帝)のカザン・ハン国征服記念の会合が開かれた、と言う。また、その他にも様々な公式セレモニーや、セクションが開かれた。 また、外国の使節もここで歓迎した。
別名[編集]
様式[編集]
イタリア建築家であるピェトル・ソッラーリらがイタリア本土から無名であったモスクワの地に招待され、グラノヴィータヤ宮殿の建築を担当した。その為、イタリアのルネサンス様式が用いられている。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ Duncan, David Douglas 『Great treasures of the Kremlin』 Abbeville Press、New York、1979年、129頁。