グラストアリア内戦
グラストアリア内戦とはマイクラ戦闘地帯 EBB戦線においてグラストアリア社会主義共和国連邦国内で発生した内戦である。この内戦は他国の介入などはなかった。
経緯[編集]
冷戦終結後、資本主義の波が押し寄せたグラストアリア社会主義共和国連邦国内で非公認のグラストアリア解放民主党が結成された。後にこの党は資本主義国としての独立を目指しグラストアリア合衆共和国を成立させグラストアリア社会主義共和国連邦に宣戦布告した。これがグラストアリア内戦である。
第1次グラストアリア内戦[編集]
1990年に結成されたグラストアリア解放民主党は社会主義からの解放を目指しグラストアリア社会主義共和国連邦政府に宣戦布告。これが第1次グラストアリア内戦の始まりである。この内戦はなかなかに勢力が拮抗し1994年には完全に膠着状態となってしまった。そして翌年の1995年12月、グラストアリア合衆共和国からの申し出で停戦条約が締結された。
ルポラス危機[編集]
グラストアリア合衆共和国が実弾演習中に標準ミスをしグラストアリア社会主義共和国連邦側に着弾した。このことで損害は出なかったものの一部の国境では戦闘が発生し第2次グラストアリア内戦の機運が高まった。
第2次グラストアリア内戦[編集]
第2次グラストアリア内戦はグラストアリア合衆共和国からミサイルによる攻撃が始まり、奇襲攻撃と判断したグラストアリア社会主義共和国連邦が報復攻撃を行った。この内戦は最初こそ奇襲攻撃によって痛手を受け、損害を被ったグラストアリア赤軍だったがその後戦いを有利に進めていった。このままではどうしようもできないと判断したグラストアリア合衆共和国は再び停戦を申し出て終戦した。
第3次グラストアリア内戦[編集]
第3次グラストアリア内戦はグラストアリア内戦最後の内戦である。グラストアリア合衆共和国がグラストアリア社会主義共和国連邦の捕虜を殺害し宣戦布告したことから始まった。この殺害はグラストアリア赤軍を怒らせ怒りの進軍という歌まで作られるほどであった。今は軍歌としてこの歌は引き継がれている。グラストアリア合衆共和国は再び劣勢となり停戦を申し出るもこれをグラストアリア社会主義共和国連邦が全面拒否しグラストアリア合衆共和国の首都へ入城。そのまま陥落させグラストアリア内戦は全面終結した。
戦後処理[編集]
戦後処理としてはグラストアリア合衆共和国は全土グラストアリア社会主義共和国連邦に併合されることとなりグラストアリア解放民主党は解散され幹部等は全員問答無用で粛清となった。またグラストアリア合衆共和国を支援したものに対しても厳罰が下された。