ガブリエラ・レンジェル
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ガブリエラ・レンジェル(Gabriella Lengyel, 1920年[1]11月2日 - 1993年[2]3月22日[3])は、ハンガリー出身のヴァイオリン奏者。[4]
ブダペスト出身。5歳の頃から地元のリスト・フェレンツ音楽専門学校のナンドール・ゾルトの許でヴァイオリンを学び、成長してからはイェネー・フバイの薫陶も受けるようになった。1935年に音楽専門学校を卒業後は、引き続きフバイの許で研鑽を積み、1936年にはブダペストでフバイの指揮によりヨハネス・ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏している。フバイの没後はエデ・ザトゥレツキーにヴァイオリンを師事し、1937年のウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで2位入賞を果たし、1945年までフバイ協会のメンバーに籍を置いた。第二次世界大戦の影響で、戦時中は国際的な名声を得るに足る演奏機会に恵まれなかったが、1946年にフランスのロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で2位入賞を果たし、1948年にはロンドンで開催されたカール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝して世界的名声を得た。1948年より、共産主義化したハンガリー情勢を嫌ってパリに移住。ピアノ奏者の弟アッティとデュオを組み、ヨーロッパ各地や中東まで演奏旅行に出た。1950年にはチェロ奏者の弟エンドレを加えてピアノ三重奏団を組んだ。1951年から1953年まではペルピニャン音楽祭に参加して、パブロ・カザルスの謦咳に接している。また、その頃からパリ音楽院で教鞭を執るようになった。
パリにて没。